上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1320回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年12月4日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[184]
     −足寄町立平和小学校−
      (1906〜1970)

 ≪あゆみ≫
■明治39年 4月1日、上足寄太簡易教育所として開校。
■明治40年 7月10日、第五本別教育所と改称。
■明治44年 3月31日、第五本別尋常小学校と改称。
■大正06年 6月26日、上足寄太尋常小学校と改称。
■大正12年 12月12日、平和尋常小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、平和国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、西足寄村立平和小学校と改称。(新学制:633制)
■昭和30年 4月1日、足寄町立平和小学校と改称。(町村合併)
■昭和41年 11月、校歌制定。(開校60周年記念式典挙行)
■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、東小学校へ統合。

 平和地区は、足寄市街の旭町や足寄部落と足寄川を境として東南の川沿いと台地の地区をいう。「平和」の地区名は、ある時期部落の住民間で激しくもめた経験を踏まえて地名に平和の願いを込めたといわれている。地域住民の正直な気持ちがそのまま地区名になった。もめた原因は何であったかは調べ切れなかった。平和地域の範囲は、明治33年に開設された相場農場の所有地が大半。
 教育に目を向ければ、明治39年に農場主相場満次郎氏が私財を拠出し小作人の子弟のために学校づくりに乗り出す。開校時の児童数は7人、初代教員に藤原武一氏の名が残っている。閉校時は20人の児童数。閉校まで64年間の校長先生は17人。校章と校歌の作詞、作曲者名の記録は不明。

(文責:上野敏郎)
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足寄町立平和小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



足寄町立平和小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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