開催日 令和2年12月7日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[185]
−足寄町立茂喜登牛小学校− (1947〜1970) |
≪あゆみ≫ ■昭和22年 6月28日、喜登牛小学校所属茂喜登牛分教場として開校。 ■昭和24年 4月1日、西足寄町立茂喜登牛小学校に昇格。 ■昭和30年 4月1日、足寄町立茂喜登小学校に変更。(町村合併) ■昭和36年 12月5日、校歌制定。 ■昭和45年 3月31日、閉校。4月1日、芽登小学校へ統合。
茂喜登牛(もきとうし)地区の開拓は昭和20年秋ごろから始まる。復員軍人などが入植して開墾の鍬を入れた戦後開拓地(旧軍馬補充部用地)だ。その子弟たちが通学する既存の小学校はあまりにも遠く、昭和22年、15坪の旧軍馬補充部の茂喜登牛看守舎を仮校舎として分教場を開校。初代教員として着任したのは斎藤新吉先生。
昭和24年には、同じ喜登牛小学校所属の温根内(おんねない)分教場と合体して茂喜登小学校に昇格するが、昭和30年に西足寄町と足寄村の合併を受けて足寄町立の小学校に変更。昭和45年には、新設された芽登小学校へ統合となった。
校章の記録はあるが制定日は不明。校歌の作詞、作曲者も不明。
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(文責:上野敏郎) |
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足寄町立茂喜登牛小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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足寄町立茂喜登牛小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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