開催日 令和2年12月11日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[187]
−足寄町立旭丘小学校− (1926〜1971) |
≪あゆみ≫ ■大正15年 3月31日、芽登尋常高等小学校付属旭丘分校として開校。
5月19日、芽登尋常高等小学校付属旭丘特別教授場と改称。 ■昭和16年 4月1日、芽登国民学校旭丘分教場と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、西足寄村立芽登小学校旭丘分校と改称。 ■昭和30年 4月1日、足寄町立芽登小学校旭丘分校と改称。(町村合併) ■昭和32年 4月1日、足寄町立旭丘小学校に昇格。 ■昭和46年 3月31日、閉校。4月1日、芽登小学校へ統合。
この地域の教育施設の創立は、大正15年2月の村議会の協賛から始まったと町史にある。“協賛”の意味は多少わかりにくいが、いずれにしても最初から行政が大きく関わったと理解したい。それでも校舎建設は、数人の農場主を中心にした寄附によって実現している。
大正15年に「旭丘分校」と「旭丘特別教授場」とあるのは、この地域に学校を一日も早くつくるために、先ず「分校」としての認可を受け授業を開始し、校舎が完成した時点で正式な校名「旭丘分教場」にしたということか。これもよく理解できないが、町史の説明はそういうことだと読んだ。
開校時の児童数は19人、閉校時は8人だった。校歌の作詞、作曲は第3代校長の遠藤四郎先生(昭和37年4月〜43年3月)だが、正式な制定日は分からない。校章の記録は不明。
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(文責:上野敏郎) |
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足寄町立旭丘小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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足寄町立旭丘小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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