開催日 令和2年12月23日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[192]
−足寄町立東小学校− (1902〜2000) |
≪あゆみ≫ ■明治34年 4月13日、足寄教育所を開設。 ■明治35年 7月13日、足寄簡易教育所として開校。(修業年限4年) ■大正06年 4月1日、足寄尋常小学校に昇格。(特別教育規定) ■昭和16年 4月1日、足寄国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、足寄村立足寄小学校と改称。(6・3・3制) ■昭和30年 4月1日、足寄町立東小学校と改称。(町村合併) ■昭和37年 3月7日、校章制定。 ■平成12年 3月31日、閉校。4月1日、(新)足寄小学校へ統合。
東小学校は、足寄地区で最初の学校、その歴史は97年。明治30年頃の足寄郡四か村の住民は、アイヌ民族が20戸、和人が30戸であり中足寄から足寄太にかけて仕事に励み暮らしを立てていた。
明治34年、地域の有志が学校建設に動きだした。郡総代である渋田栄次郎氏が自ら100円を拠出、30人の有志が250円を寄付し地域初の学校「足寄教育所」が誕生する。指導する内容は、読み、書き、体操であったが、翌35年、修業年限を4年と定めた「足寄簡易教育所」がこの地域の正式な教育施設として発足した。児童数は18人。
その後、昭和44年に鷲府小学校と愛冠小学校、昭和45年に平和小学校を統合しながら子どもたちのより良い教育環境を整えていくが、平成12年に閉校を決断し新足寄小学校へ統合、最後の卒業生は22人。創立から数えて1,776人にのぼる。
校歌の記録はあるが制定日は不明。〜ゆたかな道をゆく子ども 腕くんで力をあわせ 歴史をこの地につくる〜。
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(文責:上野敏郎) |
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足寄町立東小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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足寄町立東小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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