開催日 令和2年1月6日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[196]
−陸別町立勲祢別小学校− (1912〜1967) |
≪あゆみ≫ ■明治45年 6月10日、淕別尋常小学校付属勲祢別特別教授場として開校。 ■大正12年 4月1日、信濃尋常小学校付属に変更。 ■大正13年 2月7日、勲祢別尋常小学校に昇格。 ■昭和16年 4月1日、勲祢別国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、勲祢別小学校と改称。(学制改革)
■昭和24年 8月1日、淕別(りくんべつ)村から「陸別村」へ改称。 ■昭和42年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。
勲祢別地域の開拓は、明治43年の鳥取団体の入地に始まる。勲祢別(くんねべつ)とはアイヌ語で「黒い川」の意味だそうだ。団体長の磯井源太郎氏が中心となり開校準備に入り明治45年の開校となる。児童数は10数人。
大正12年頃には入地者も増え児童数は70人を超えた。当時は開校時と同じ特別教授場だが、所属は淕別尋常小学校から信濃尋常小学校に変更。 大正13年の児童数はピークの79人、その後減少の坂を下ることになる。閉校時は16人だった。
学校の歴史を知る資料は少ない。しかし、作詞者、作曲者いずれも不明だが校歌の記録はある。三番の詩は「父母の拓いたこの里で 高い希望めざしつつ 樹氷はな咲くこの窓で 鍛えて進むよい子らの ああ 勲祢別小学校」である。
樹氷はな咲く窓〜この一文は、さすが厳冬の町陸別のまち。 校章の記録は不明。
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(文責:上野敏郎) |
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陸別町立勲祢別小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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陸別町立勲祢別小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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