開催日 令和3年1月13日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[198]
−陸別町立上陸別小学校− (1909〜1973) |
≪あゆみ≫ ■明治42年 4月、足寄教育所附属第一淕別(りくんべつ)特別教授場として開校。 ■明治45年 4月1日、淕別尋常小学校所属に変更。 ■大正13年 4月1日、第一淕別尋常小学校と改称。 ■昭和16年 4月1日、淕別村上淕別国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、淕別村立上淕別小学校と改称。(学制改革) ■昭和24年 8月1日、淕別(りくんべつ)村から「陸別村」へ改称。
陸別村立上陸別小学校と改称。(村名変更) ■昭和28年 9月23日、陸別町立上陸別小学校と改称。(町制施行) ■昭和46年 4月1日、陸別小学校の分校に変更。 ■昭和48年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。
上陸別小学校の前身、第一淕別特別教授場は陸別町内の学校で最も早く開校。学校名{第一〜}そのままの歴史を誇るのだが、その陰には地域の有力者西野直次郎氏の功績があった。西野氏は敷地の寄付はもちろんのこと、教育施設や設備の整備に大きな協力を惜しまなかった。
児童の在籍数は大正年代では80人を超えていた。しかし、昭和10年に入るころから60人、そして50人と徐々に減り始めている。一時、鹿山地域に開拓農家が入ったときは増えたのだが昭和40年代になるとまた減少の道を歩かざるを得なかった。
校章の記録はないが、校歌はある。ただ、作詞者と作曲者そして制定日は不明。校歌の三番の詩がいい。「この地に開いた父母の地に 文化の基を築き行く 永久に誓う此の使命 結びは固し上陸校」。さぞかし子どもたちは胸張って歌ったことだろう。
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(文責:上野敏郎) |
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陸別町立上陸別小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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陸別町立上陸別小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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