開催日 令和3年1月19日(火)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[200]
−陸別町立小利別小学校− (1912〜1982) |
≪あゆみ≫ ■明治45年 4月5日、陸別尋常小学校付属小利別特別教授場として開校。 ■大正04年 6月1日、小利別尋常小学校に昇格。 ■大正15年 4月10日、小利別尋常高等小学校と改称。 ■昭和16年 4月1日、小利別国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、小利別小学校と改称。(学制改革) ■昭和28年 9月23日、陸別町立小利別小学校と改称。(町制施行) ■昭和37年 10月7日、校歌制定。(開校50周年記念式典挙行) ■昭和57年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。
小利別地域の開拓は明治43年、小学校の開校は2年後の明治45年である。小利別小学校の沿革史には、明治43年、44年と入地者が増え、特に44年の網走線(池北線=平成18年4月21日廃止)が開通するとその数は見る見る間に増えだし、小利別市街を形成するほどだったとある。
この姿を児童数の推移から見れば、明治45年は21人、大正2年は39人、3年は52人、そして大正4年、尋常小学校に昇格したときの児童数は120人。その後も増えてピークは大正12年の255人である。
これだけ勢いのある学校も、昭和40年代に入ると児童数100人を切るようになる。昭和50年は34人、当然学校存続の是非が地域や行政の大きな課題となる。昭和55年は10人、56年5人となることが分かり、昭和57年に陸別小学校へ統合する決断を下すのであった。
校章はあるが制定日は不明。校歌は作詞が第13代校長増森尚敏先生。「厳しき寒さなんのその 祖先の偉業しのびつつ〜」と歌った小利校生に幸あれ!
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(文責:上野敏郎) |
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陸別町立小利別小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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陸別町立小利別小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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