上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1340回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月27日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[204]
     −浦幌町立常室小学校炭砿分校−
      (1939〜1967)

 ≪あゆみ≫
■昭和08年 (社立)浦幌炭砿尋常小学校として開校。
■昭和14年 4月1日、浦幌炭砿尋常高等小学校と改称。(公立移管)
■昭和16年 4月1日、浦幌炭砿国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和21年 3月31日、閉校。
      6月、常室国民学校浦幌炭砿分教場として再開校。
■昭和22年 4月1日、浦幌村立上常室小学校分校に変更。
■昭和28年 4月1日、浦幌町立上常室小学校分校と改称。(町制施行)
■昭和37年 4月1日、浦幌町立常室小学校分校に変更。
■昭和42年 7月31日、閉校。8月1日、常室小学校へ統合。

 炭砿分校についての資料は少ない。よって先ず、浦幌町史から該当する箇所をそのまま転載する。
 「炭砿小学校には他校と異なる変遷がある。昭和八年雄別炭砿鉄道株式会社、社立浦幌炭砿尋常小学校として創立(校長上根太郎)。同一四年三月二七公立移管となり、四月一日浦幌炭砿尋常小学校となる。一六年四月浦幌炭砿国民学校と改称。炭鉱の盛況にともない児童数が上昇し、村内第一の多数学校となっていたが、炭鉱の操業中止によって二一年三月三一日閉校。同年六月常室国民学校浦幌炭砿分教場として復活。一二年春炭鉱再復活、同年六月一日浦幌炭砿小学校として再開校。三二年三月三一日、炭鉱閉鎖にともなう児童・生徒数減少のため閉校。同年四月一日上常小学校分校。三七年四月一日常室小学校分校。四二年七月三一日閉校となる。昭和二四年当時の学級数五、児童数二○六名。」これが町史にある炭砿分校の説明である。
 また、校章は制作されていたようだが校章そのものは確認がとれていない。校章があったとする根拠が校歌の二番の詩にある。「色紫にあざやかに 校旗仰げば金銀の 校章燦とかがやいて みんな正しく強くなる」。『燦』と輝いた校章を見たいものである。
 校歌、校章の制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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浦幌町立常室小学校炭砿分校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



浦幌町立常室小学校炭砿分校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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