開催日 令和3年2月10日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[210]
−浦幌町立上厚内小学校− (1924〜1982) |
≪あゆみ≫ ■大正13年 10月1日、厚内尋常小学校所属上厚内特別教授場として開校。 ■昭和02年 4月1日、上厚内尋常小学校に昇格。(特別教育規定) ■昭和16年 4月1日、上厚内国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和23年 4月1日、大津村立上厚内小学校と改称。 ■昭和30年 4月1日、浦幌町立上厚内小学校と改称。(町村合併) ■昭和49年 10月1日、校歌制定。(開校50周年記念式典挙行) ■昭和57年 3月31日、閉校。4月1日、浦幌小学校へ統合。
上厚内小学校の閉校記念誌を開いてみる。大正13年に上厚内特別教授場(児童数39人)ができるがその場所は浦幌地区ではなく大津村である。
地域の主な出来事で最初の出てくるのが、明治36年12月にこの地に「信号場ができ、上下六本の汽車が止まる。」の文言だ。ここでいう「信号場」とは「しんごうじょう」と読み、鉄道路線に欠かせない分岐器(ポイントのこと)や信号設備が設置されているが、旅客や貨物の取り扱いはない停車場のことをいう。
明治42年、この地域への入地が始まる。大正13年、上厚内特別教授場の開校に特に熱心だったのは今村浅次郎氏だった。氏は、薄皮木工場の経営者。開校時の児童数は39人。
昭和30年、大津村は三分割してその一つが浦幌町に編入。上厚内小学校は大津村立から、浦幌町立に移行することになる。校歌は昭和49年に制定、作詞は二人だが、その一人は第9代校長の青木一夫先生である。校章は不明。
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(文責:上野敏郎) |
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浦幌町立上厚内小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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浦幌町立上厚内小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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