上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1347回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年2月12日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[211]
     −浦幌町立直別小学校−
      (1905〜1982)

 ≪あゆみ≫
■明治38年 12月20日、厚内教育所付属直別教授場として開校。
■明治39年 12月20日、直別簡易教育所と改称。
■大正03年 5月、直別尋常小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、直別国民学校と改称。
■昭和22年 4月1日、大津村立直別小学校と改称。
■昭和30年 4月1日、浦幌町立直別小学校と改称。(町村合併)
■昭和57年 3月31日、閉校。4月1日、浦幌小学校へ統合。

 北海道に「直別」という地名は多い。原称はアイヌ語の「チュクベッ」にある。その意味は地域によって微妙に違う。浦幌の「直別」は、アイヌ語のチュク・チェプ(秋の魚⇒鮭)が秋になると盛んに上る川を表す意味だ。
 この直別に明治22年頃、高島文吉氏が入地し渡船業と駅逓所(えきていしょ)を経営する。駅逓所とは、交通の不便な地に駅舎と人馬を備えて宿泊や人馬の継ぎ立てや運送の便を図るために設置されたものだ。
 その後、この地に日本で有数の畜産家黒岩四方之進(くろいわよものしん)氏が黒岩農場を開く。明治38年、黒岩農場主はその農場で働く小作人の子弟のために寺子屋的な学校をつくるのであった。この学校には炭焼き、造材現場で働く人夫たちの子弟も通いだすことになる。閉校時の児童数は6人。
 校歌、校章の記録はない。校旗は閉校記念誌に写っている。その中のマークは校章と思われるが、絵として描くには不鮮明すぎる。

(文責:上野敏郎)
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浦幌町立直別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



浦幌町立直別小学校 校章
(文字&画:鎌田博文氏)

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