開催日 令和3年3月10日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[221]
−浦幌町立吉野小学校− (1900〜2005) |
≪あゆみ≫ ■明治33年 7月1日、十勝郡生剛村浦幌尋常小学校として開校。 ■明治38年 4月1日、十勝郡第一浦幌尋常小学校と改称。 ■明治45年 4月10日、生剛(せいごう)村から「浦幌村」へ改称。 ■大正13年 2月28日、十勝郡萩野尋常小学校と改称。
3月18日、十勝郡吉野尋常小学校と改称。 ■昭和16年 4月1日、十勝郡吉野国民学校と改称。(国民学校令) ■昭和22年 4月1日、吉野小学校と改称。(学制改革) ■昭和24年 6月20日、校歌制定。(開校50周年記念式典挙行) ■昭和29年 4月1日、浦幌町立吉野小学校と改称。(町制施行) ■平成17年 3月31日、閉校。4月1日、浦幌小学校へ統合。
吉野地域の呼称は昭和4年から。それまでは下頃辺(したころべ)と呼んでいた。下頃辺は広い下浦幌地区に入るが、旧十勝川流域の東南岸に位置し、約4000ヘクタールに渡る原野である。そのほとんどはアシ原湿地帯。
この地に、明治28年河合長平氏が岐阜農場開設のため土地調査に入っている。その後、続々と今日の浦幌の礎を築く人々が入植し始めるのであった。
さて、吉野地区の教育事始めだが、明治31年に発行された『北海道植民状況報文・十勝国』の中に、「土田、池田、高嶋ノ三農場及ヒ藻岩下利別ニ於イテ各々其地ニアル説教場ノ僧侶ニ托シテ子弟ニ読書、算術、習字ヲ教へ〜」とある。ここに記されている正真正銘の寺子屋が後の吉野小学校の前身である。僧侶の働きに拍手を贈りたい。
校章はあるが制定日は不明。校歌の作詞、作曲はいずれも小原四郎氏。小原氏は吉野小学校の同窓生であり、十勝管内の多くの校歌、そして歌謡曲等に係る人物である。
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(文責:上野敏郎) |
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浦幌町立吉野小学校 校舎 (画:菅野孝雄氏)
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浦幌町立吉野小学校 校歌 (文字&画:鎌田博文氏)
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