上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1362回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年3月22日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[226]
     −音更町立南中音更小学校−
      (1932〜2021)

 ≪あゆみ≫
■昭和7年11月11日 河東郡中音更尋常高等小学校所属南中音更特別教授場として創立。
■昭和9年1月15日  河東郡駒場尋常高等小学校所属南中音更特別教授場と改称。
■昭和12年4月16日 河東郡南中音更尋常小学校と改称。
■昭和16年4月1日  南中音更国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年4月1日  音更村立南中音更小学校と改称。
■昭和28年7月1日  音更町立南中音更小学校と改称。(町制施行)
■令和3年3月31日  閉校。4月1日、駒場小学校へ統合。(予定)

 昭和4年5月、十勝種馬所地帯の一部が開放された。この地域は、明治43 年に「種馬牧場」として創設されているが、周辺は見渡す限りの樹海と丈の長 い雑草が隙間なく生い茂る正に人跡未踏の地であった。この南中音更、西中音 更地帯に入植者の姿を見るのは昭和5年頃からである。その2年後には児童数 32人の特別教授場が開校している。10年後の昭和17年には約3倍の児童 数となり、昭和20年代から30年代前半までには100人以の数を維持する が、その後は減少の一途やむなしの地域へと変化するのであった。閉校時の児 童数は9人。
 ところで、校歌の制定日についてである。作詞は、南中音更小学校の笹浪孝徳第7代校長であること判明している。笹浪校長の赴任期間は昭和42年4月から50年3月までの8年間、この間に南中音更小学校は創立40周年を迎えている。となると、その記念日に合わせて校歌を制定している可能性は高い。推測だが、校歌の制定は昭和47、8年頃か。

(文責:上野敏郎)
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音更町立南中音更小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



音更町立南中音更小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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