上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1408回普段着のとかちミーティング


開催日 令和4年1月26日(水)
話 題 私の「依田勉三研究」[その12]
     −昔の十勝日日新聞から−
 
「豚と一つ鍋」の作句場所はどこか 2
 前回の続きになる。「開墾の 初めは豚と 一つ鍋」について、新しいことを知ったのでここで記録しておくことにする。また、この句を考えるとき、いくつかの疑問も解明されなければならないとも思っている。  
 一つ目は、この句は誰が作ったものかということだ。通常は、勉三の句とされているが、既に記述しているように勝の妻カネは、この句は夫勝と銃太郎そして勉三の合作であるとしている。しかし、そのことを前提にするならば、最終的にこの句は勉三の句であるとすることに異論を挟まないとカネは譲歩もしている。
 では、合作だとすれば、この句が完成するまでがどうであったかを知りたくなる。及南アサ(のなみあさ)著「チーム・オベリベリ」は、小説だがその知りたいことを教えてくれる。  
 場所は、渡辺勝の家。妻カネは大きな鍋で豚の餌を煮ていた。そこに勝と銃太郎そして勉三が帰ってきた。さっそく三人は酒を飲み始め、勝が酒の肴にその鍋にある煮崩れしない野菜やホッチャレをくれとカネに言うのである。豚の餌の上前を撥ねて三人の酒盛りは始まった。  
 しばらくして、勝が一句できたとし「落ちぶれた 極度か豚と 一つ鍋」と披露。それを聞いた銃太郎と勉三は「それは惨め過ぎる」と批判し、勉三は「落ちぶれて なるかと向かう 一つ鍋」と自分の句を口に出すのであった。
 その句を聞いた勝と銃太郎は「勉三の句には、豚が入っていない。それが入らんと、一つ鍋が生きてこない」と不満を言うのである。その後に銃太郎は、「一つ鍋 豚と分かつも 春の雨」と詠むが、今度は勝と勉三が「意味が分からん」と合格点を出さないのである。少し時間が経った頃に勉三が、「開墾の 初めは豚と 一つ鍋」と詠み直し、三人は「まあまあだな」と得心しこの句論争は一見落着となるのであった。  
 「開墾の 初めは豚と 一つ鍋」の句には、こんな三人のやり取りがあったのである。「チーム・オベリべリ」は小説だから、必ずしも史実を忠実に再現しない。それでも、このやりとりは史実に近いのでないかとも思う。  
 ただ、これが本当の話だとすると、「開墾の 初めは豚と 一つ鍋」の句ができた場所は、勉三の家では無かったことになる。しかし、やりとりの場面が小説の中の話だとしても、事実に近づく有力な資料であることには間違いない。

(文責:上野敏郎)



−昔の十勝日日新聞から−


<『チーム・オベリベリ』>
著:乃南アサ

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